<讃岐西部 編 その2>
さて、丸亀城を後にして西へ向かいます。
目的はお昼なので食事など。前から行ってみたかったラーメン屋があるので、三豊市へ行きます。
香川も平成の大合併で、以前に比べたら市町の数がグッと減りました。それはそれで良いのですが
新しい市町名を聞いてもピンとこないんですよね。合併でひとつの市町名を言われても、範囲が
広くなったのでますますわからなくなる。
目的のラーメン屋は旧三野町にあります。俳優の「要潤」のご出身地ですな。
しかしながら未だかつて、旧三野町を目標に車を走らせたことなど皆無なのです。と、言うより
現在の三豊市及び観音寺市に入り込んだことが、生まれてこの方、数えるほどしか無い。
狭い香川ですが、こんなもんなんですよ、実際は。
ですが、今回は強い味方があるのです。そう、ナビを買っちゃったのですう。
たかが家から10kmぐらいしか離れてないところでナビを使うなんざ、チョロい奴よのう。
と、言われようが使わにゃ損。
このラーメン屋もわかりにくいところにあるらしいので、早速ナビスタート。
おかげで迷うことなく着きました。が、お店はお休みでガックリ。
定休日調べないで来た私が悪いと言い聞かせ、しょうがないので、近くの道の駅に行きます。
道の駅「みの」です。すぐそばに71番札所弥谷寺がありますので、お遍路さんも結構居ました。
桜もかなりありましたが、新しい施設のためか、まだ木が若いようです。
遊具や温泉もあって、結構楽しめそうです。
さて次は観音寺市に向かいます。目指すは琴弾公園。
途中、高瀬でうどんを食べて、腹もふくれて出発です。
ナビのおかげで迷わず到着。桜はもうかなり散っていました。
ここのウリは、「寛永通宝」の砂形。展望台から見ると、写真のように現れます。
実際は東西120m、南北90mの楕円で、毎年2回、ボランティアの方々で形を直しているそうです。
TVニュースでも流れますが、この展望台から無線で指示を送って、形を整えます。
元は、江戸時代に、この地の領主が、幕府の使者を歓迎するために、一夜で作ったとされています。
ここからは東へ戻ります。最後の目的地の満濃池へ。
ここのところ、雨らしい雨が降っていないせいか、地肌が見えます。
5月のゆる抜きに向けて心配なとこですね。
そばにある神野神社の桜は、かなり散っており、境内や石段は桜の花びらでいっぱいでした。
讃岐の桜は今週までかなあ。
結構走ったつもりでも、トータル70kmくらいでした。
こうしてみると狭いよねえ。
<完>